2008年7月

派遣会社の営業に入院手術のことを伝えた。派遣と派遣元をつなぐ担当の営業は頻繁に変わることが多い。大手のほうが案件をたくさん持っているので、自然に大手の派遣会社から派遣されることが今までは多かった。しかし、今は小さな派遣会社のおかげで担当者が3年変わらずしかも女性だったので伝えやすかった。営業は親身に相談に乗ってくれ、すぐに休みの間の変わりの人を探してくれた。私の仕事はちょっと特殊であまりやりたがる人がいない。同じ職種の人が辞めて後任を探すときになかなか決まらず、しばらく2人分の仕事を1人でこなさなければいけなかった。だから、変わりの人が見つかるのか不安だったけれど、運良くすぐにいい人が見つかった。しかも、もしかしたら体調によっては自宅療養が延びるかもしれないのでそのときは派遣期間を延ばして欲しいというわがままも聞き入れてくれた。先生は3週間で大丈夫と言い切ってくれたが、どのくらいあれば社会復帰できるかが全く想像できなかったので、曖昧な派遣期間を受け入れてくれた後任の人が見つかったおかげで精神的にとても楽になった。
具体的に手術の方法を詰めた。ほとんど小さくならなかった筋腫は大きすぎて腹腔鏡手術ができるかどうか微妙なラインだった。先生に希望を聞かれたけれど、そんなのわからない。先生は大丈夫だと思うけどなーとしきりに繰り返していた。
腹腔鏡で手術をしていても、筋腫が大きすぎたり出血が多くなったりなど、色々な理由で途中から開腹手術に切り替わることがある。そうすと、腹腔鏡のための穴3つと開腹になる。術前は大丈夫なはずでも開腹になる場合もあるのだから、そんな先生が悩むほどの微妙なラインなら最初から開腹を選んだほうが安全なような気がした。
開腹にも種類があった。短く切るのと長く切る方法が選べた。もちろん傷は小さいほうがいいので短いほうを選んだ。こんな短いほうがいいと決まりきったことをわざわざ聞くのか不思議だった。
結局、開腹になってしまい、何のために半年間高い薬をやってたのか、開腹だったら半年待たなくても他の病院でもできたのだ。自分の選択は間違っていたのか?と、悲しくなった。手術直前までやっぱり腹腔鏡でできないかと最後の最後まで諦められなかった。
術後一ヶ月の退院した友人に会った。低かったがヒールのある靴を履き、さっさと歩く友人にびっくりした。一ヶ月前に手術した人とは思えなかった。痛いといえば痛いけれど、歩いたりするのは別に大丈夫なんだそうだ。感覚がいまいちわからなかった。友人は自分の体験から私の入院を色々心配してくれ、汗をかいて不快になるからと替え用のパジャマと大きいバスタオルをくれた。その気持ちがとてもうれしかった。そのほかの入院に関する具体的なことも色々教えてくれた。高額医療申請をしていたので入院費は10万くらいでカードで支払ったこと。日曜日は会計が閉まっているので退院手続きは土曜日にすること。尿道カテーテルがとれたらだいぶ楽になること。おかげで色々な心積もりができた。
あとは、入院前検査をするだけだった。ネットで調べた自己血輸血もすることにした。電話や受付で予約がきかず、まず輸血部に行って予約を取らなければいけなかった。しかも、空いているときが限られており、話を聞けば聞くほど面倒くさくなってしまった。もし自己血がないとどうなるのかと、先生に聞くとすこし意地悪な顔で「別になくてもこちらはかまわないです。もし輸血になったときに他の人の血を輸血するだけです」と言われた。まったくその通りなので、だまって輸血部に後日行くことにした。
自己血以外の術前検診はスムーズに終わった。大学病院は圧倒的に老人が多かったが、婦人科は比較的若い人が多い。しかし、術前検査の列は老人だらけだった。年を取ると病気と共存していかなければいけないのかもしれないと考えさせられた。
輸血部に行くと、同じ大学病院とは思えなくらいしんとしたフロアにあり受付もなく椅子が一つ置いてあるだけだった。そこには先客が座っていて、その人たちが呼ばれていなくなってしまうと、私1人がぽつねんとフロアにいた。こんなときはそれでなくても時間が長く感じてしまう。たまに点滴を付けた車椅子の人が通るくらいだった。待ち切れずに、中にまで入って尋ねると、やっと通された。その日は予約しか出来ないと聞いていたのに、話は違って今日できると言われた。術前検診で血も取られていたし、心の準備もしていなかったので後日にしてもらった。