家政婦は見た

昔の友達のブログを偶然見つけてしまった。
彼氏ではなくて女友達の。
私の二度と会いたくないリストに入っている彼女。
私は、かつて恋愛関係にあった人は嫌いにならない。その人の好きだった部分は今でも好きだ。未練とはまた違う意味で好きな部分は好きなのだ。
しかし、それ以外の関係で人を嫌いになると、その人自身を全否定してしまうくらい嫌いになってしまう。そして、永遠に嫌い。


友達や知り合いの関係だと、別に「好き」という感情があって仲良くなるわけじゃないので、「嫌い」という感情ができてしまうとどんどん増殖してしまう。もちろん、友達になるくらいだから気が合う部分があるわけだけど、嫌だなあと感じることがあるとそれが帳消しにされるような事柄が必要になる。そうなると、どんどん打算的になってしまって、何もかも嫌になってしまう。
その元友人とは、好きなものの方向が似ていた。そして、お互い自意識過剰なところ*1が私たちを結びつけていたと思う。

初めは、彼女のいい面=1:好きなものが近い=4:まだよくわからない=4:あれ?=1、という感じだった。

半年後くらいから、イヤだなと感じることが多くなった。そして、その割合はどんどん大きくなり、彼女のいい面=1:好きなものが近い=3:完璧な人はいないし、これくらいは許容範囲=4:う〜ん=1:これは酷い=1、とすっきりしない気持ちで付き合っていた。

1年たつくらいには、会うのがキツくなった。好きなものが近い=1:これは酷い=9、と圧倒的に嫌悪感のほうが多くなってしまった。

わたしたちは元々会社の同僚で、毎日顔を合わし、帰りにご飯に行ったり、プライベートでも遊びに行っていた。好きなものが近いから。美術展やメジャーじゃない映画を見に行く人はあまり多くない。それが、嫌な部分の割合が半分を超えてからも会っていた理由だ。お互い退社してからは、間隔を置いて会っていた。しかし、すぐに限界がやってきた。たまに会うのも辛くなった。そんなとき、向こうがドタキャンをしてきたのをきっかけに約束をしなくなった。恋人同士だと別れがあるが、友達だと終わらすのは難しい。

そして2年くらいたってから、彼女に聞かなければいけないことがあって連絡した。私も仕事も含めて不安定だったが、彼女もかなり苦労していた。そのせいか、私のことも親身になって心配してくれ、彼女のいい面が復活した。あたりまえだけど、最初からいい面がない人とは親しくもなれない。
それから、高齢独身同士助け合うべきだと出会いなどを求めていっしょに出かけたりすることになった。
…彼女のいい面は、一瞬で消えた。また、これは酷いだらけになってしまった。周りの友達たちは、家族があるのが普通なので出かけるのを付き合ってくれるのは彼女だけなのだ…という打算的な心理だけで付き合いを続けていた。彼女といてもまったくいいことがなかったし、まったく楽しくなかった。打算=0.5:これば酷い=9.5、と打算の要素も風前の灯だった。

こんな気分でいるとさらに彼女との関係は辛くなった。私からは約束をとりつけないようにした。あるとき、私の都合も聞かずに当日に会う時間を尋ねられた。私は違う友達と外出していたので、これ幸いと彼女の誘いを断った。それに対する返事はなかった。私もそれから一切連絡していない。

その見つけてしまったブログには、とある日のことを詳細に書いていた。当事者が読むとすぐにわかった。当然、彼女は自分のことは悪く書かずに私の非難をしながら長々とつまらないことを細かく書いていた。文章の途中では、私を指すと思われるところリンクが貼ってあった。他にも書いてあるということだ。私は途中で読むのをやめた。全部読んでも気分が悪くなるだけ。もちろん、リンクにも飛ばなかった。

手書きでつける従来の日記は、よほどのことがないかぎり公表されない。だから相手にも知られることがない。インターネットは公開していることを忘れてはいけない。飲み会で会社の悪口をいうとき、周りを見渡して同じ会社の人がいないかたいていの人は確かめる。ネットでも同じような気持ちでいなければいけない。公開を限定して書くこと、誰でも見られる所に書くことを意識しなければならない。少しでも考えられる頭を持っている人なら限定して書くところでも万が一のことを考えて書くだろう。頭が悪いのに限って何も考えず公開制限も付けずに何でも書いてしまうのだ。

映画、ソーシャル・ネットワークの主人公の元カノのセリフを思い出す。

インターネットに書き込んだら消せないのよ。

今回の私が遭遇したことは、拡散されるわけではない。しかし、自分自身ではちょっとした愚痴をつぶやくつもりが取り返しのつかないことになる危険があることを常に忘れずにインターネットをしていきたいと改めて思った。

*1:よくいる、「私はその辺の女と違う」という嫌な女